夏目漱石離熊百二十年記念展示

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【オンライン展示の開催について】

新型コロナウイルス感染症の影響によって多くの大学で従来のような活動が困難になり、図書館の利用もさまざまな制約を受けています。そのような状況にあって、本学では、図書館の学内外への貢献の新しいかたちを求め、従来ロビー等で行っていた展示をオンラインで開催することにいたしました。

展示は、熊本の第五高等学校教授だった夏目漱石が文部省派遣によるイギリス留学のため明治33年(1900年)に熊本を離れてから今年で120年になるのを記念して「夏目漱石離熊120年記念展示」とし、《熊本で出会った夏目漱石と寺田寅彦――俳句・絵画・ヴァイオリン》というテーマで開催いたします。

熊本での出会いが夏目漱石と寺田寅彦にどのような影響をあたえたのか、この熊本での出会いが機縁となって生まれたものの大きさを本展示によって知っていただければ幸いです。

なお展示の開催にあたって、資料の提供と解説に本学元非常勤講師の仁平道明東北大学名誉教授の協力を得ました。

熊本県立大学学長
半藤英明

【展示の趣旨】

明治29年(1896年)に熊本の第五高等学校で夏目漱石と寺田寅彦は出会った。漱石に導かれて寅彦が作った俳句が漱石の親友正岡子規が関わっていた新聞『日本』や『ほとゝぎす』に掲載され、後に寅彦は『ホトゝギス』(明治34年10月から誌名表記変更)に俳句だけではなく漱石の影響のあとも見られる小説・随筆を載せている。

寅彦が明治32年(1899年)に東京帝国大学に入学し、漱石がイギリス留学のために明治33年(1900年)に熊本を去り、帰朝後に第五高等学校を辞職して第一高等学校・東京帝国大学の講師となってから、東京で二人の交流はさらに深まった。

なお、二人の関係は、漱石が寅彦に影響をあたえたというだけではない。「吾輩は猫である」など漱石文学の世界に寅彦との交流が反映していることや、寅彦の作品から漱石が影響を受けた可能性があるのではないかと思われる小説もあることから、二人は相互に影響し合っていたと考えられる。

その漱石と寅彦を結びつけたものの中で大きな存在だったのが、前述した俳句であり、絵画、音楽――特にヴァイオリンであった。

絵画は、幼い頃から絵が好きだった漱石と寅彦の共通の趣味で、二人は多くの絵を残してもいる。また寅彦は漱石がイギリス留学中に購入を始めて帰国後亡くなるまで購入し続けていた美術雑誌『ザ・ステューデイオ』(THE STUDIO)を漱石の家で見せてもらったりしているが、絵画を通じて二人の関係が深まったであろうことは想像に難くない。

さらに、音楽――特にヴァイオリンは、寅彦が漱石に影響をあたえたものとして注目すべきであろう。「吾輩は猫である」に書かれている、寅彦をモデルにした「寒月君」とそのヴァイオリンの話が、寅彦の第五高等学校時代の物理の師で後に東京帝国大学理科大学でも師弟そして同僚となった田丸卓郎の影響で寅彦が始めたヴァイオリンについて漱石に語ったことが材料となったものであることは、よく知られている。寅彦は漱石を音楽会に誘って一緒に行ったり、音楽の話を聞かせたりもしている。漱石の長女筆がヴァイオリンやピアノを習い、長男純一が後にヴァイオリストになったのも、寅彦との交流があったからではないかと思われる。

そのように漱石と寅彦を深く結びつけた、俳句・絵画・ヴァイオリンを中心に、熊本での漱石と寅彦との出会い、そしてその出会いが契機となった寅彦と漱石との交流が二人にどのような影響を与えたのかということを、本展示によって概観したい。

【展示メニュー】