解説集
  • 四.ヴァイオリン

五高時代に独習で始めた寅彦のヴァイオリン

 寅彦が漱石に影響を与えたものがある。音楽――特にヴァイオリンである。『吾輩は猫である』に書かれている、寅彦をモデルにした水島寒月とそのヴァイオリンの話が、寅彦の第五高等学校時代の物理の師で後に東京帝国大学理科大学でも師弟そして同僚となった田丸卓郎の影響で寅彦が始めたヴァイオリンについて漱石に語ったことが材料となったものであることは、よく知られている。
 そのヴァイオリンと寅彦が出会ったのは、熊本だった。
 寅彦が五高生だった明治31年に、田丸卓郎が弾くヴァイオリンを聴き、それがきっかけでヴァイオリンを買って弾くようになったこと、その後東京帝国大学理科大学で再び師弟となり、同僚となった田丸と音楽を通じても交流が続いたことが、田丸が亡くなった昭和7年に『理学部会誌』に載せた「田丸先生の追憶」(『蒸発皿』〈昭和8年12月/岩波書店〉再録)に、次のように書かれている。
  第二学年の学年試験の終つたあとで、其時代には殆ど常習となつて居たやうに、試験をしく
  じつた同郷同窓の為に、(中略)田丸先生の下宿を尋ねた。(中略)その要件の話しがすん
  だあとで、いろいろ雑談をして居るうちに、どういふきつかけであつたか、先生が次の間か
  らヴァイオリンを持出して来られた。(中略)デモンストレーションの為に「君が代」を
  一遍弾いて聞かされた。田舎者の自分は、その時生まれて始めてヴァイオリンという楽器
  を実見し、始めて、その特殊な音色を聞いたのであつた。(中略)それから自分は、全く子
  供のやうに急に此の珍しい楽器のおもちやが欲しくなつたものである。さうして月々十一
  円づゝ郷里から貰つて居る学費のうちからひどい工面をして定価九円のヴァイオリンを買
  ふに到る(中略)兎に角自分が此楽器をいぢるやうになつたそもそもの動機は田丸先生に
  「点を貰ひ」に行つた日に発生したのである。ずつと後に先生が留学から帰つて東京に住ま
  われるやうになつてから、或る時期の間は、随分頻繁に先生の御宅へ押しかけて行つて先生
  のピアノの伴奏で自己流の演奏、しかもファースト・ポジションばかりの名曲弾奏を試みた
  のであつたが、此れには上記のやうな古い因縁があつたのである。
 なお、下宿を訪問して田丸が弾くヴァイオリンを聴いたのは、寅彦の明治31年5月9日の日記に「此夜田丸先生を訪ふ、バイオリンの弾奏を聞く」とある日のことだったと思われる。その後の日記に、ヴァイオリンを買ったときのことが、「通町に行き長崎支店にて(中略)バイオリンが安き物なれば求めんと尋ねたれば七円参拾銭のと八円三十銭のとあり。菓子の間食を節して貯金し購はんとの計画を立つ」(5月10日)、「此日財嚢を敲ひて金八円八拾銭を出しバイオリン一個を購ふ」(5月19日)と書かれていて、さらに翌日から「帰校后龍田山に登りバイオリンを弄す。細雨折々下る。」(5月20日)、「帰宿后又龍田頂にてViolineを弄す」(5月21日)、「昼飯后バイオリンを携へて山に登り帰りて数学演習夕飯后又登山下司君と山頂に横臥してバイオリンを弾ず」(5月22日)と、連日のように龍田山に登ってヴァイオリンを弾いたことが書かれている。漱石の『吾輩は猫である』に書かれている「寒月君」のヴァイオリンの話は、寅彦の体験談によるところがかなり大きかったのである。