解説集
  • 三.絵画

漱石と美術雑誌『ザ・ステューデイオ』と寅彦

 明治33年(1900年)から文部省の派遣により2年の期限でイギリスに留学した漱石は、ナショナル・ギャラリー等で西欧の名画に接し、またロンドンで発行されていた美術雑誌『ザ・ステューディオ』(THE STUDIO)の購入を始め、明治36年に帰国してからも丸善を通じて取り寄せ、『ザ・ステューディオ』に掲載された絵を水彩で模写したりしていた。漱石が本格的に西洋画に目を開かれたのは留学したロンドンの美術館や美術雑誌で絵を見たからかもしれない。なお漱石は、はやく明治36年8月に水彩画を描き始めている。
 その頃のことを寅彦は、「夏目漱石先生の追憶」で次のように書いている。
  千駄木へ居を定められてからは、又昔のやうに三日にあげず遊びに行つた。其頃は矢張
  り未だ英文学の先生で俳人であつただけの先生の玄関はそれ程賑かでなかつたが、それで
  も随分迷惑なことであつたに相違ない。今日は忙しいから帰れと云はれても、何とか、か
  とか勝手な事を云つては横着にも居すわつて、先生の仕事をして居るそばでスチュディオ
  の絵を見たりしていた。当時先生はターナーの絵が好きで、よく此画家について色々の話
  をされた。何時だつたか、先生が何処かから少しばかりの原稿料を貰つた時に、早速それ
  で水彩絵具一組とスケッチ帳と象牙のブックナイフを買つて来たのを見せられて大層うれ
  しさうに見えた。其の絵具で絵葉書をかいて親しい人達に送つたりして居た。
 なお、漱石は明治37年10月22日に、水彩で描いた絵葉書を寅彦にも送ったが、その鶏に餌をやる西洋の女性(少女)を描いた絵葉書は、現在、高知県立文学館に所蔵されている。

(『ザ・ステューディオ』第31巻第131号(1904年2月発行)/東北大学附属図書館漱石文庫蔵)

※漱石が帰国後購入を再開して入手した最初の『ザ・ステューディオ』

(漱石が寅彦に送った水彩で描いた絵葉書/高知県立文学館蔵)

※漱石は、明治37年頃、五高での教え子橋口貢とその弟の清(橋口五葉)たちに多数の水彩で描いた絵葉書を送っているが、その中の何枚かは、『ザ・ステューディオ』の絵を模写したものである。なお、東北大学附属図書館漱石文庫所蔵の「オックスフォード大学図」と呼ばれる葉書大の水彩画は、従来何によって描いたものか不明とされていたが、漱石が帰国後購入を再開して最初に入手した1904年(明治37年)2月15日発行の『ザ・ステューディオ』第31巻第131号に載ったVernon Howe Baileyの「OXFORD COLLEGES」の一枚で「“Magdalen College,Oxford”」とある絵の一部、モードリンカレッジの塔を模写したものであることが仁平道明の調査で判明した。

(『ザ・ステューディオ』第31巻第131号の
Vernon Howe Baileyの絵“Magdalen College,Oxford” )

(漱石「オックスフォード大学図」〈水彩/東北大学・漱石文庫蔵〉)