解説集
  • 四.ヴァイオリン

寅彦のヴァイオリン

 明治31年に寅彦が熊本で購入した「八円八拾銭」のヴァイオリンは鈴木製の楽器だったのではないかと思われる。その後寅彦は明治41年8月12日の日記に「共益商社へ電話にて九号のバイオリン(22yen)と弓(3yen)注文す。夕方届け来る」とあるようにまた鈴木製と思われるヴァイオリンを買い、大正11年(1916年)には、9月30日の日記に「午後銀座へ行つて十字屋でバイオリンの良いのを見せて貰ふ。独逸製130円といふのは可也いゝ音が出さうである。」とあるようにドイツ製のヴァイオリンを購入している。現在高知県立文学館に保存・展示されている寅彦旧蔵のヴァイオリンがその「独逸製130円」の楽器であろう。なお、この寅彦旧蔵の楽器は、ラベルには「Joh.Bapt.Schweitzer /fecit at forman Hieronym Amati Pestini 1813」とあるが、Joh.Bapt.Schweitzerが1813年に製作したオリジナルではないのではないかと思われる。Joh.Bapt.Schweitzerはオーストリアのヴァイオリン製作家で、1790年頃に生まれ1860年頃までバイオリンを製作していた。ラベルによれば寅彦旧蔵のヴァイオリンは、そのJoh.Bapt. SchweitzerがHieronymus Amati(Girolamo Hieronymus Amati〈1649年 – 1740年〉。ヴァイオリン製作で知られるAmati一族の初代Andrea Amatiの曾孫。)製作の名器をモデルにして1813年に製作した楽器ということになるが、その1813年から1世紀以上後の大正11年(1916年)に寅彦が十字屋で購入したヴァイオリンは、Joh.Bapt.Schweitzerが製作した楽器そのものではなく、おそらくJoh.Bapt.Schweitzerが1813年に製作した楽器を、1900年から1910年前後にコピーして作った量産品ではないかと思われる。(その頃、後にチェコ領のルビになったシェーンバッハ周辺で、名の知れた制作者のヴァイオリンをコピーした楽器が大量生産されている。なお、Joh.Bapt.Schweitzer1813年製作ラベルのコピー楽器は、現在少なくない数が残っている。)制作されてから100年以上経ったJoh.Bapt.Schweitzerのオリジナルであれば、日本に輸入されて十字屋で当時の金額で130円程度で売られることは考えにくい。 

(寺田寅彦旧蔵のヴァイオリン/高知県立文学館蔵)

※佐藤泰平氏の『〈二〇〇〇年度研究ノート〉寺田寅彦の音楽 日本の古いリードオルガン(6)』(2001年5月/私家版)に挙げられている音楽関係の記事をほぼ踏襲している末延芳晴氏の『寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者』(2009年12月/平凡社)が引く寅彦旧蔵のヴァイオリンのラベルの綴りには、佐藤泰平氏の誤り1箇所に加えてさらに2箇所の誤りがある。
※寅彦は、「ホーマン」と通称されるヴァイオリンの教則本を使っていた。(「ホーマン」の第1巻は、「田丸先生の追憶」にいう「ファースト・ポジション」の練習曲を収めている。)「ホーマン」は、ドイツの作曲家・音楽教育家Christian Heinrich Hohmannのヴァイオリン教則本で、例えば北村季晴・北村初子共編『新撰ヴァイオリン曲集第壹編』(共益商社楽器店/明治41年)の「緒言」に、「此の頃洋楽器の流行頗る盛なるが中にも、とりわけヴァイオリンを学ぶもの最も多く、諸所の音楽教授所等に於ても、生徒の大部分はヴァイオリンを修むる者なる由に聞く。(中略)ヴァイオリンを学ぶべき教科書ども、彼国人の手に成れるものも一二ありて、其編輯の順序、難易の程度等、くさぐさなるが中にも、とりわけ初学者の為には、独逸ホーマン氏のヴァイオリン、シューレ(普通単にホーマンと呼ばれ居るもの)最も、ふさはしと認められ、東京音楽学校をはじめとし、他の教授所等に於ても、むねと此の書によりて学ぶもの多きが如し。」とある。各国で広く使用され、日本版も早くから出版されていた。東京帝国大学講師だった明治38年8月26日の寅彦の日記に「共益商社にてホーマンの3を求め帰る。」とある。(この頃はまだ「独習」だった。なお「ホーマン」は教師と一緒に弾くための二重奏の練習曲が中心で、独習用の教則本ではない。)後に寅彦は「自分のヴァイオリンはホーマンの3の中頃迄」と自己評価している。

(「HOHMANN」第1巻/ボストン O.DITSON社版)