解説集
  • 一.夏目漱石と寺田寅彦

寅彦のもう一人の師、田丸卓郎

 寅彦が第五高等学校で出会って多大の影響を受けたもう一人の師が、物理担当の教授だった田丸卓郎である。
 田丸卓郎は、明治5年(1872年)に田丸十郎の次男として盛岡で生まれ、伯父の中原雅郎一家と暮らし,東京師範学校附属小学校等へ通い、明治28年(1895年)に帝国大学(明治30年「東京帝国大学」に改称)理科大学を卒業し、明治29年(1896年)8月に第五高等学校教授に任ぜられて物理を担当していた。
 寅彦は、明治31年(1898年)5月に、田丸の下宿を訪れ、そこで田丸の弾くヴァイオリンを聴き、自分でもヴァイオリンを買って独習で弾くようになり、以後、ヴァイオリン演奏が寅彦の終生の趣味となった。
 田丸は、明治32年(1899年)7月に第五高等学校教授から京都帝国大学理工科大学助教授に転じ、翌明治33年(1900年)年9月に、その前年の明治32年(1899年)に寅彦が第五高等学校を卒業して入学していた東京帝国大学理科大学助教授に転じた。ドイツに留学した田丸が明治38年(1905年)に帰朝すると、東京帝国大学理科大学を卒業して明治37年9月に東京帝国大学理科大学講師になっていた寅彦は、「随分頻繁に先生の御宅へ押し掛けて行つて」(「田丸先生の追憶」)、合奏したりしていた。その後、田丸は明治40年(1907年)に理論物理学第二講座教授となり、寅彦は明治42年(1909年)助教授、大正5年(1916年)教授となり、田丸と寅彦は同じ東京帝国大学理科大学の物理学の教員として勤め、昭和7年(1932年)に田丸が亡くなるまで公私にわたる交流が続いた。

(田丸卓郎『ローマ字国字論』から)