- 二.俳句
寅彦の俳句、熊本の外へ
漱石の添削を受けるようになってからは、寅彦が、自分の持つて行く句稿を、後には先生自身の句稿と一緒にして、正岡子規の処へ送り、子規がそれに朱を加へて返してくれた。さうして、そのうちからの若干句が「日本」新聞第一頁最下段左隅の俳句欄に載せられた。と「夏目漱石先生の追憶」で書いているように、漱石は添削した寅彦の句稿と自分の句稿を子規に送り、寅彦の句も子規が関わっていた新聞『日本』や『ほとゝぎす』に本名の「寅彦」や「寅日子」の号で掲載されるようになった。
なお寅彦の句は『ほとゝぎす』で子規・碧梧桐・虚子等の句と一緒に掲載されることもあり、いささか得意になったこともあったのではないかと思われる。
(明治31年10月21日の『日本』掲載の漱石と寅彦の俳句)
(『ほとゝぎす』明治33年3月号に掲載された寅彦の俳句)
※『ほとゝぎす』第3巻第5号では、寅彦の句は子規・碧梧桐・虚子等の句と一緒の欄に掲載。
※寅彦が「牛頓」(ニュートン)の筆名で書いた「Godを逆さにすればDogだ。」という戯文も載っている。
※「消息」欄に「御問合有之候同人諸君の番地一括して左に御報申上候」として「肥後国熊本市内坪井町七十八番地 夏目金之助(漱石)」の住所氏名が載っている。(内坪井町には明治31年7月に転居していた。)
※「地方俳句界」欄に「西海道 ●紫溟吟社(肥後熊本)」の新年会・例会のこと、新入会者として玄耳・楚雨・半榻園・湖南等の名、白楊・千江・迂巷等の句が紹介されている。
※寅彦は、『ほとゝぎす』には、はやく明治31年10月号に「鳴子引日に五匁の麻をうむ」の句を載せている。
(『ほとゝぎす』明治33年4月号)
※寅彦の「玄上は失せて牧場の朧月」の句には、漱石の「菊の香や晋の高士は酒が好き」・「簫吹くは大納言なり月の宴」・「落ち延びて只一騎なり萩の原」等のような物語的な句の影響が見られる。
※「消息」欄に「転居及前号御報後新たに御問合有之候諸君の番地左記」として「肥後国熊本市北千反畑丁 夏目金之助(漱石)」の住所氏名が見える。
(『漱石俳句集』大正6年12月/岩波書店)
※「北千反畑(熊本)に転居して」という前書の「菜の花の隣もありて竹の垣」等の句がある。熊本での最後の住まいとなった北千段畑の家への転居は明治33年3月末頃。